Identikit scenes(2019)
モンタージュの風景(2019)
ポートレートと呼ばれる写真は、写っている人の人となりを表現するように努める場合がほとんどである。被写体の内面が想像できる写真が良いポートレートとされることが多い。わたしもそのような写真を撮りたいと思った。しかし、わたしはコミュニケーション能力に自信がなく、被写体となる人を理解してから撮影する方法は避けたかった。そのため、ルーチンワークによってポートレート撮影を行えないか考えた。
撮影方法は次のとおりである。
- 被写体となる人は初対面かそれに近い人物がほとんどである。
- 被写体となる人に自分自身に関連する言葉を書き出してもらう。
- 書き出された言葉からどのように撮影するか決める。(撮影場所、服装、ポージング、小道具など)
- 撮影の際、撮影場所やポージング、小道具の組み合わせは、話しながらその場で決める。
上記のように撮られた写真は、その人の断片が複数詰め込まれた写真と言えよう。被写体の人となりが直接に表現できているわけではないが、それらの断片からどのような人物かを想像することはできそうだ。これらの写真は、被写体の人となりを写したポートレートと言えるだろうか。 例えば、実際にその人物に会ったとしても、その人の生活の全てを知るわけではなく、会っている時間の中でしかその人物像を捉えることはできない。しかし、私達はそのような付き合いの中で、相手の人となりを理解していく。 そのように考えると、この写真たちは、被写体の複数の断片が詰め込まれており、実際に被写体と会って人物像を捉える疑似体験ができていることになる。それは人となりを理解していく過程と同じである。であるなら、これらの写真は被写体の人となりが写されたポートレートと言えると思う。